「誘う」という言葉の起源について考えるとき、イザナギとイザナミの伝説が重要な参考点となります。これらの神々が日本の国を創り出す過程で、お互いを招き合ったというエピソードが「いざなう」という語には深い意味を持たせているのです。
この背景から、「誘う」という動詞の語源的な関連性について、学術的な議論が行われています。
「誘う(いざなう)」の語源はイザナギ・イザナミから来ているのか?
「誘う(いざなう)」という言葉は、「いざ」という感動詞と、動詞を形成するための古語の接尾辞「なふ」が合わさって「いざなふ」として生まれ、それが現在の形に変化しました。
「いざ」は、何かを始めるときや大切な決断の時に使われることが多い言葉です。
この言葉は、日常的な「誘う」とは少し異なり、より詩的な表現として「夢の国へ招く」など、期待感や楽しみを伴うシチュエーションで用いられます。
一部には、「いざなう」がイザナミがイザナギを結婚に招いたという神話から来たとする説もありますが、言葉が名前の由来に影響を与えたとする見方が一般的です。
名前が言葉を形成するよりも、言葉が存在してから名前がつけられる方が自然だと考えられます。
また、「誘う」という漢字は、羊の首を象る象形と、人に灸をすえる姿を象る象形から成り立ち、長い時間をかけて誘導するという意味が込められています。
したがって、「いざなう」という言葉は、「いざ」と「なふ」が結びついたものであり、イザナギ・イザナミの神話が直接の語源ではないとされています。
イザナギとイザナミ | 「誘う(いざなう)」の語源探究
イザナギとイザナミは、日本神話の中心的な神々で、夫婦として日本列島や数多くの神々を創造しました。
イザナギは神武天皇の先祖として知られ、伊邪那岐命や伊弉諾神といった名前でも呼ばれています。
一方、イザナミも伊邪那美命や黄泉津大神として知られ、女神としての地位を築いています。
創造の神話:
二神は高天原から送り込まれ、天沼矛で最初の島、淤能碁呂島を創りました。
ここで結婚した二人は、その後に日本の多くの島々や自然界の神々を生み出しました。これが「国産み」と「神産み」の始まりです。
イザナミの最期と黄泉の国:
火の神カグツチを産んだ際に亡くなったイザナミを追って、イザナギは黄泉の国へ行きました。
そこで遭遇したイザナミの姿に驚き、逃走する際に黄泉比良坂で大岩を置いて二つの世界を隔てました。
禊ぎと三貴子の誕生:
地上に戻ったイザナギは禊ぎを行い、その過程で三貴子が誕生しました。左目からは天照大神が、右目からは月読命が、鼻からは須佐之男命が生まれました。
名前の語源:
イザナギとイザナミの名前は、「誘う」を意味する「いざな」という語から来ているとされますが、一般的には名前が形成された後に語が付けられると考えられています。
彼らが結婚し国造りをする神話は、これらの名前の語源に関連している可能性があります。
祭祀される場所:
イザナギとイザナミは、兵庫県の伊弉諾神宮や島根県の比婆山久米神社を含む
日本全国の多くの神社で祀られています。
「誘う」(いざなう)の多層的な意味
「誘う」という言葉は、単に他人を呼び寄せるという基本的な意味を越え、「導く」「魅了する」「心を惹きつける」といった多様なニュアンスを含んでいます。
■例示:
- 「夢の領域へ招く」
- 「危険な路へ誘う」
- 「新たな世界へ誘う」
これらの表現は、イザナギとイザナミが日本の創造神話で果たした役割、つまり世界を構築し生命を創出するという重要な役割と密接に関連しています。
この神話的な背景が、「誘う」という言葉に深みと広がりを与えているのです。
「誘う」(いざなう)の意味と語源解析|イザナギ・イザナミとの関連性
「誘う(いざなう)」という言葉は、「いざ」という感動詞と、動詞を形成する古語の接尾辞「なふ」が組み合わさり、「いざなふ」として誕生しました。
「いざ」は「さあ、始めよう」という意味で、新しい行動を促す際に使われることが多いです。
「いざなう」は「誘う」の詩的な表現であり、日常的な「誘う」とは異なり、未知の体験や楽しい冒険への期待を込めて使われることがあります。
たとえば、「夢の国へ招く」などの表現がその例です。
■ イザナギ・イザナミと「いざなう」の語源
「いざなう」がイザナミがイザナギを結婚に招いた神話から来たとする説がありますが、言葉が名前に影響を与えたと考える方が自然です。
歴史学者本居宣長もこの見解を支持しています。
通常、言葉は名前の形成に先行します。イザナギとイザナミの名前も、彼らが国造りを互いに誘う役割から「いざなう」が由来したと解釈されています。
■ 漢字「誘う」の成り立ち
漢字「誘う」は、象形文字の「羊の首」と「横たわる人に灸をする姿」と「小さく取り囲む」の意が組み合わさって成立しています。
これは、羊を長時間取り囲む様子から、「じっくりと誘い込む」という意味が発展しました。
この解釈により、人や動物を段階的に特定の状態へ導くことが「誘う」の本質とされています。